なんてったって高二病

肩の力抜いて

青春期の終わり ~中学編~

今回は、久しぶりの更新となる。

最近は正直吐き出したい事も少なくなってきたし(自己消化しているというのもある)、このブログの意義を見失いつつあった。

しかしながら、先日に高校生活最後のオープン大会に臨み、それなりに思う所があった。Twitterでブツ切れの文章を投下するんでも良かったけれど、折角だからまとまった量の文章を残しておくことにする。

自己満足の塊のような内容だが、目に触れた方の参考になれば幸いである。

(余談だが、この記事はTwitterで上げる予定なのである程度人の目を気にしてマイルドな内容にしている。前回の記事とかは心の闇がドバドバな独白なので、見ない事をお勧めする)

 

僕が初めてクイズのボタンに触れたのは小学六年生の時、早稲田高校の文化祭での事だった。原因は不明だが、この奇妙なゲームに一瞬で魅了された。すぐさまこの学校への入学を決めた。(偏差値にはある程度余裕があった)

 

そうして僕は早稲田中高へと約六年前に入学し、クイズ研究部に入った。

しかし、すぐさまクイズにのめり込んだかと言えば、そうではなかった。当時の僕にとってクイズは「遊び」。「本命」は小学校から続けていた剣道で、クイズは適当にやって中学くらいで辞めようとか、のほほーんと考えいた。(実際週に三日あるうちの二回しかmaxで行かなかった)

 

転機は中学二年生の時。生来負けず嫌いの僕は(予想以上に自分が運動に向いていないのも分ってきて)、クイズで勝てないのがむず痒く感じてきた。

当時同期最強だったのはナガトことO野で、既に部内全体で十指に入ろうかという実力を保持したモンスターだった。しかし、傍から見て彼に特段努力の跡は見えなかった。漫画かラノベを読みながら、深夜アニメの話ばかりういはるとしていた(今も大して変わってない)。ベタ問のいくつかは「とある魔術のうんたら」という本で知ったらしい。凄い本だなー。

後輩が入ってきたのも大きかった。当時後輩だったメヌやパグたちは積極的な世代で、問題集を読んだり部で出た問題をメモしていた。一方当時の僕は(え!?そんなんありなの??)と思っていた。ちなみに、問題集の存在を知ったのは大体中2の夏前である。彼等が入部しなければ、僕は「なんたらインデックス」とかいうキモオタ向け工業製品ラノベでクイズを勉強する悲劇に陥っていたかもしれない。

 

そんなこんなで、先輩としての沽券とか、キモオタ君に負けたくない意地とか、あと家庭環境が荒れていて家にいたくなかったのもあり、クイズの勉強を始めた。僕が「競技クイズ」との出会いを中学二年とするのは、こういう訳である。

クイズの勉強はサクサク行き、中2春にはEQIDENメンバーに入選し、KQA杯で人生初の紙抜けを果たす等、クイズ人生の書き出しは順風満帆なものだった。とはいっても、企画で負けて号泣したりとかもあったし、若く熱かったなぁと思う。

(余談だが、この「サクサク」というのは結構重要で、三カ月以内に結果が出ないと練習はキツくなってしまうと思う。新入生の指導では、実際に部で良く出る問題とかを教えたり、或いは問題集をまるまる貸して、そこから部活で問題を出したりすると効果あるかも。

僕は、①元々知識欲が強かった②負けん気が強い③貧乏だったので他に娯楽が無い この3点がプラスに働いたと思う。貧乏は神)

 

そして中学三年生。僕の目標は、当時部内最強、STUセミファイナル経験者のじゅげむさん/ピノさんという偉大過ぎる先輩。そして、よっぴー♪/key/さざなみ/はかいしん の四巨頭を始めとするKQSの同期だった。

両先輩が後進の育成に積極的で、手持ちの問題集を貸して下さった事もあり、実力がぐんぐん伸びていくのが分かった。

しかし、同時に大事なものを失いかけていた。僕は目標を意識するあまり、他の先輩/同期/後輩を低く見ていたらしい。当時の僕について同期に聞くと、「クイズを勉強し過ぎて人格が追い付いていない感じ。『努力しないやつはゴミ』みたいな」らしい。ONE PIECE赤犬みたいだ。

おまけに面倒臭がりなのも相まって、部内の仕事を疎かにするようになっていた。夏は納期に間に合わない事も多々あった。仕事もせず態度も悪いが、クイズだけは強い。考え得る限り最悪の部員である。

そうした性格の根幹は当然先輩にも見抜かれていた。秋の両先輩の引退時。「先輩方みたいに強くなりたいです。」と言ったら、「お前はクイズよりも先に、自分の態度を見つめなさい」と返された。

それでも、僕の傲慢さは変わらなかった。お二人が抜けた後の部活では、僕が一番強かった。お山の大将である。

 

僕の態度が変わりかけたのは、冬のSTUでだった。数点差が続いていた僕は、自分の紙抜けを確信していた。結果は60位。今回も壇上の同期を見るだけで終わった。

クイズの実力についての慢心を、初めて理解した。僕は大して強くもないのだ。その現実が初めて頭に染み込んだ時、迷わずに先輩に勉強法を聞いた。自分を省みる時なのだと、心の底から実感した。

そこから春休みまで、クイズ以外の事をしていた記憶は無い。確か正月も家で問題集をメモしていた。態度もそれなりに反省した。その甲斐あってか、2015年3月、渋渋でのTKGという大会で優勝、KQA杯でベスト6、KSCでも青プレから3Rまで進出した。先輩にも、初めて「言う事無い」と告げられた。僕にとって、最大級の褒め言葉だった。

 

こうして中学のクイズは躍進と共に幕を閉じた。しかし、僕の本質的な問題は、高校生活の中でより大きくなっていく。

(高校編に続く)

吐き出したい事が、一つできた。

今日は、正直堪えた日だった。

一つには、あまり過去問の出来が良くなかったこと。最低限はクリアしているのかもしれないが、それでも奮起せねばならない結果だ。


もう一つは、旧友を失った事。

肉体的に死んだ訳ではない。ただ、彼はもう僕にとっては別種の存在なのだ。

ぶっきらぼうな接し方でも、体裁を弁えていなくとも、それなりに重ねた交流が最低限の関係を築いていると、信じていた。僕だけが。

詐欺にあっていた事を知った時のようや、怒りと困惑とが入り混じった呑酸に似た感覚。

しかしその感覚がいまいち言葉にならないのは、きっと僕が自分のことを、彼の言う歳を食っただけの人間だと理解しているからかもしれない。


クイズが強いとか、世代の三強とかもて囃されていたが、まともに努力したのなんてせいぜい一年くらいで、abcを通過してからはまともに前に進む気さえ無かった。

適当にやってりゃ高校生以下の大会なんてどうにかなるし、評価は得続けられると思っていた。実際どうにかなった。どころか、テレビにまで出れてお釣りが来た。

それでも、他の三人は俺より前に進んでいった。♪はabcで稀な成績を筆記、本戦ともに残している。宮ちゃんは一年の時からテレビに出て、大会も筆記でどんな位置からでも上位に食い込む勝負強さで魅了した。谷口は遅咲きながら努力を重ねて、3年にはテレビクイズで優勝した。

俺も彼らみたいなプレイヤーになりたいと何度も思った。それでも、なれなかった。俺がろくでもない人間だからだ。強敵と戦う主要登場人物を尻目に隅で解説キャラに成り下がり、挙句彼らにライバルだと口では主張する状況を是としているからだ。


部長としての実務もそうだった。やりたい事だけを主張して仔細は思慮に入れないクソガキ。周りのサポートに支えられているのに気付かずに、母校のクイ研を引っ張ってきた王様だと思いこむ。その上、引き継ぎのファイルを破損させるという無能さ。川田さんに見放され、水畑に心を閉ざされるのも当然だ。


俺だってなりたかったよ。目標に向かって愚直に進めて、仕事を有能にこなす、何より自分の能力を過信しない人間に。でも、なれなかった。



一方で、あの若造なんかに言いくるめられて悔しくないのかと問う自分もいる。

俺は俺で、別に誰に何を言われようが大したこたぁ無いね。こういうスタンスで生きてきたじゃないか。

実際、俺のしてきた善もあるだろう。俺は俺がどれだけできないやつか知っているが、どれだけの事をしてきたかも知っている。

家族の別居の時には決着の糸口を作った。老々介護で疲れた祖母の話し相手になっている。

エイジも相談相手に俺を選んでくれたのは、それなりの信頼があるからじゃないのか。釜ちゃんが燻ってた時にあげたアドバイスは、彼の優勝に数パーセントの助力をしたかもしれない。同期が部活が嫌になった時は率先して一時的な居場所を設けた。

俺がいた事が、同期の競争意識を上げられたかもしれない。良くも悪くも早稲田と開成の仲を深められた。

文化祭で部門賞が取れたのは、宣伝策が奏功した部分もあったろう。

だいたい俺、実戦で猪俣以外の下の世代に負けた事は殆ど無いし、アイツにも1対1で何回も勝ってるぞ。勝負の世界にいる以上そこは譲れねえなあ。


俺は確かに個人としての態度が誇れる人間ではなかったけど、そこそこの強さはあったし、友人や後輩の為には労を惜しまない素敵な所もあるじゃないか。鵜呑みにして全否定するなんて愚かな真似はすべきではないのではないだろうか。


そうは言ってもしかし、僕がこれ程までインパクトを受けているのは、彼が図星を突いているからだろう。僕は、自分が是と思う事に果たしてエネルギーを尽くしてきたかと問われると、自信はあまり無い。

個としての能力の無さは自分としても望む所ではないし、どころか周りに迷惑を掛けかねない。

何より僕は、難題に嬉々として挑む人間でありたい。自分の是とする旨をかつ信じかつ疑い、その時々に力を尽くすべきだと思う。その思いを蘇らせてくれたという点では、彼に感謝だ。精進せねばなるまい。


以上の所で、心境の整理はついた。実に穏やかかつ情熱的な気分だ。

ただ残る勘案が二つ。

一つは、僕がこれから彼にどう接するかについてだ。ある程度距離を取るべきだろう、とは思う。しかし、例えば同じサークルに入った場合…。共演NG色を露わにすると周りにも迷惑を掛けるだろうし、最悪脱会も考える所だ。まあそれは追い追い。

もう一つは、彼と同じ印象を共有している人がどれだけいるのか。俺も流石に、「こいつクソだな」と僕を心の底から見放している人間とは自ら仲良くするつもりは無い。相手に迷惑だろうし。勿論、他人の内心なんて知れたものでは無い。そこはある程度、嫌な感触のある人には自分なり他人に頼るなりで探っていくしか無いか。


普通のブログならこんな重い話を延々と書けないだろうけど、俺は今の所これの読者は自身の他一人しか知らぬ。そこも、こういうブログの良い使い道。

痛み、疲れ、時々潤い

最近各メディアでは「格差社会」との言葉が散見される。収入の格差が、教育、医療、キャリア、QOLの全てに波及するのだという。

それでも「老い」だけが平等だということは幼稚園児でも知っている。ここでいう「老い」とは、先端医療でごまかしの効く身体的な老化というよりは、人間として経験値を積む中での情動的な変化である。人は誰しも(子供ですら)社会の中で自分の年齢の重なりとそれに伴う変化を実感する。それは、「誕生日会」の儀式や学校の進級に伴う義務感など外界から与えられるものだったり、年少者の姿にかつての自分を重ねる(今の自分を重ねられない)自己反省的な態度だったりする。


かくいう僕も、最近は「老い」を感じる事が多い。受験という鳥籠の中に閉じこめられているからだろうか、体の不調には常に敏感になる。

クイズやサッカーという趣味から引き離され、未知の可能性への興奮も中々に感じられない。外界から隔絶された環境に置かれて、まるで時間が停滞する中で自分の身体だけが老いているような感覚に陥っていく。そのうち、気持ちの方も瑞々しさが失われる。

ソーシャルメディアを通して眺める中高生の世界は、雲の上にあって手が届かないようだ。空中で飛び回れるほど身軽な気持ちでは無いのだから。


それでも、いやそれだけに、生活の中のわずかな潤いが余計に愛おしく感じられる。

勉強の合間に十数分外を歩くと、まだ残る雪の上で光を浴びる子供たちの、その不規則な跳ね回りに頰が緩み耳が喜ぶ。

草花のちょっとした変化が嬉しい。

夜には親友とLINEでついつい長話をしてしまう。遠い昔のようだった現役時代も、この時にはつい昨日のような鮮やかさを見せる。

受験まで残り一カ月、とうとうブログを始めてしまった

はいどうも、初めまして。ブログ主の清月です。

何と、受験直前というこの時期に、ブログを始めてしまいましたー!

(ブーイング)

 

とりあえず、自己紹介だけ。

清月。高校三年生(2018年1月)。男。

趣味:クイズ>>サッカー観戦=勉強≧美術鑑賞

備考:高二病(という名の中二病)

 

とは言っても、これをどう使って行くかとかは決めてないんです。

そこらへん、今回はブログを始めた理由から書いていきますね。

 

この時期にブログを始めた理由は、「人と会わずに頭ん中がごちゃごちゃしがちだから」です。受験生のこの時期はほぼ在宅で人に会えないのでコミュニケーションが不足しがち、鬱屈とした気分と戦いながら歩みを進める訳です。僕も実際これまではそうでした。

 

しかし、僕は気付いてしまった!「この戦いには勝てない」と。

本来おしゃべりな僕にとって、人と会えないというのは何よりの苦痛だという事が近年の調査により分かってきました。

ではどうするか。

 

「戦わない!」

 

自力で戦う事を放棄した僕は、負のイメージの原因から消し去る事にします。そこで考え付いたのが以前やっていた「ブログ」。これなら意見を好きな時間に言えるし、PCだから負担が無いし、一応「外に発信する」という形をとる以上「ため込んでる感」も低い。

 

ここまでで皆さんお気づきかと思いますが、このブログは読者の存在を一切想定しておりません!(少なくとも今は)。呼びかけ口調を使っているのは建前上です。次回から突然ゴルゴみたいな語り口になるかも。「俺の狙いは一つだけだ」とか。ゴルゴ途中から全然喋らんけど。

 

ということで、恐らく読者0となり続けるであろうこのブログを、ストレス発散の道具に使って行きたいです。適当にカッコつけた事をダラダラと書いていくぞー!

 

なんてったって高二病ですから

 

清月